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 ぶらり歩き   
 35. 石見銀山を訪ねて (4)   平成26年5月2日
 大森町の町並みのなかで、少し懲り過ぎで驚いたのが、木造の家並みにマッチさせるためであろうか、木枠で囲った自動販売機(写真13)である。通りがかった男性が大森地区を案内するボランティアだということで、聞いてみると、この家のご主人の趣味でこのような木枠をこしらえたそうである。これぐらいの強い意識をもつ住民の努力によって、江戸時代の大森町の町並みを観光客に提供して、感動を与えているといえる。


 美しい町並みが終わる石見銀山公園までやって来たが、龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)までは2〜3kmの登りの坂道となるため、電動自転車を借りて向かう。因みに、間歩とは鉱山の坑道のことをいう。

 電動自転車は初めての経験であるが、登り坂でも足への負担がなく軽快に進む。老人の部類にはいる我々にとってはなかなか助かる、優れものである。間歩の手前に設けられた自転車置場に自転車を止めて、徒歩で間歩に向かう。間歩の入口で写真を撮っていると、若いカップルを案内してきたボランティアガイドの男性が一緒に間歩見物はどうかと誘いの声をかけてくれ、遠慮なく便乗することにする。

 石見銀山には600を超える大小さまざまな間歩があり、そのうち、龍源寺間歩を含む7つの間歩が国の史跡に指定されている。龍源寺間歩は1715年に開発された代官所直営の600mの坑道で、大久保間歩に次いで2番目の長さをもつ間歩である。そのうち、273mが一般公開され、反対側に抜けられるようになっている。間歩の内部は湿度は高いが気温は低く気持ちが良い。そして、天井の高さは大人でも腰をかがめなくとも歩ける高さに掘られている。入口を入ってすぐの天井に、最近はほとんど見かけることがないコウモリが2匹眠っているのを見つける。また、所々に上に向かって人一人がやっと体を入れることができる狭い掘り込みが見られるが、これは鉱脈を追いかけて掘り進んだ跡とのことである。その壁面 には当時のノミの跡がそのまま残っている。足場の悪さを考えると、かなり難しい体勢で掘削することが求められ、重労働であったことが想像できる。また、鉛直にきれいに掘られた竪坑(たてこう)は間歩内部に湧き出た水を地上に排水するためのものである。現在は、蛍光灯が内部を明るく照らしているが、当時の照明はサザエの殻に入れた油に灯した灯りであったというが、なかなか工夫したものと感心する。間歩では湧水対策とともに、地上には間歩内部に空気を送るための送風機が設置されていた。送風機を設置するのは土肥金山でも見てきたが、すべて人力で風を送るのだから大変な重労働であったことと思われる。

 後日、石見銀山を紹介するテレビ番組をたまたま観ていると、このときのボランティアガイドの男性が番組のホストを案内しており、有名なガイドさんであったのだと驚かされる。

 電動自転車を返して、レンタカーを止めた駐車場を目指して夕方の銀山街道をもどっていくと、夕日に照らされた石州瓦の赤と漆喰壁の白(写真15)で構成された町並みが、往きとは違う趣きを醸し出している。




写真13 自動販売機

写真14 

写真15 大森町の家並み 

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